Damon Albarn

デーモン・アルバーン (Damon Albarn)
ヴォーカル / キーボード / ギター
生年月日 1968年3月23日 (47歳)
出身地 ロンドン / イングランド
身長 180cm
共同作業者
Blur・Gorillaz・The Good, the Bad & the Queen・Rocket Juice & the Moon・DRC Music・Bobby Womack・Africa Express・Monkey: Journey to the West・Dr Dee・wonder.land・Electric Wave Bureau
Photo Credit: Anorak

デーモン・アルバーンはロンドン東北部の街レイトンストーンにあるロイヤル・ロンドン病院(ホワイトチャペル)で生まれる。父のキースはイングランド北西部のノッティンガムシャー出身で、デーモンが生まれたばかりの頃はサブカルチャーな事業を生業としていたが、それをきっかけに関わりを持ったジャズ·ロック·グループ、ソフトマシーンのマネージャーとなる。その後、BBCの「レイト・ナイト・ラインナップ」の司会者を務めるなどTV番組制作に従事する傍ら、芸術家としてコンテンポラリー・アートの世界に踏み込み、イスラム美術の学術書「ランゲージ・オブ・パターンズ」を出版した他、キングリー・ストリートに雑貨店を構え、自らデザインしたサイケデリックなモダン家具や工芸品を販売するなど芸術家としての一面も持ち合わせていた。また、オノ・ヨーコが最初に開いた個展を主催している。母のヘーゼル・アルバーンはリンカンシャー出身でジョアン・リトル劇団のステージデザイナーとしてシアター・ロイヤル・ストラッドフォード・イーストに務め、デーモンが生まれる直前まで左翼的演劇「ミセス・ウィルソンズ・ダイアリー」に取り組んでいた。デーモンの幼少からの10年間は芸術 / 教養 / 進歩に溢れ、本と骨董品に囲まれたテラス・ハウスで悠々と暮らすものであった。10歳までレイトンストーンで過ごし、ジョージ・トリムソン小学校に通っていた。

デーモンが10歳になる頃、キースはノース・エセックス・スクール・オブ・アートの学長職を得ることとなり、その実務処理が行われる3ヶ月の間、アルバーン一家は友人らとトルコに滞在した。帰国後、予定通り一家は生活の拠点をエセックスに移す。デーモンはスタンウェイ・コンプリヘンシヴ・スークルに転校し、バイオリンとピアノを習い始めた他、演技に没頭しており、多くの演劇に参加している。その頃には既に音楽の才能も開花しつつあり、全国規模の若手作曲コンテスト「ヤング・コンポーザー・オブ・ザ・イヤー」の予選を通過している。

12歳になったデーモンは音楽棟の裏にあるプレハブでグレアム・コクソンと出会う。デーモンは初対面のグレアムに「ゴミみたいな靴はいてるんだな。見ろよ、俺がはいてるのが正式なんだぜ」とグレアムの靴を貶し、自らの靴を自慢した。最悪の出会いであったが直ぐに音楽の話題で2人は意気投合し、親友となった。

その後、デーモンはグレアムと共にジ・アフターマスを結成する。メンバーの入れ替わりに伴い、バンドはリアル・ライヴズに名前を変え、パブやクラブでも演奏を行っている。しかし、17歳になる頃には演劇にのめり込むあまり音楽への興味を一時的に失い、スタンウェイ卒業後はロンドンにある演劇学校イースト15に入学するが、直ぐに挫折する。自らを「世界最悪の俳優」と結論付け、1年で退学し、コルチェスターに戻る。イースト15での日々はスランプ続きであったが、その間に元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドで当時ソロ活動をしていたニコのライブでの前座やベルリナー・アンサンブルと「三文オペラ」で共演する機会を得るなど再び音楽への情熱を取り戻すきっかけともなった。

その後、グレアムを追いかける形でロンドン大学ゴールドスミス・カレッジの定時制音楽科に入学する。当時、ユーストンにあるファーストフード店「ル・クロワッサン」でアルバイトをしていたデーモンは、そのすぐ近くにある音楽スタジオ、ビート・ファクトリー・スタジオにデモテープを持ち込み、経営者のグレアム・ホウルダウェイとマリク・バーキャンプがデーモンのマネージメントをすることと、お茶汲み係として働くことを条件に夜間のスタジオを自由に出入りできることとなる。ビート・ファクトリーで働きだしてからはサム・ヴァンプルーとのシンセポップ・デュオ、トゥーズ・ア・クラウドなど、いくつかバンドを結成したがどれも上手くは行かなかった。1988年、デモ制作を続けながら大学の友人であるトム・エイトケンヘッド、エディー・ディーガンらと共にバンド、サーカスを結成する。デーモンが音楽的成長を加速させたことにより、バンドはメンバーの入れ替わりを余儀なくされ、最終的にグレアム・コクソン、デイヴ・ロウントゥリー、アレックス・ジェームスが加わり、正式にバンド活動を始める。その後、バンドはシーモアへと名前を変え、レコード会社との契約を機にブラーへと名前を変えた。





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